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モットワイルドニ、モットクレイジーニ

「自分でカイシャ作って、それでもツマンナかったらもう首括るしかねーな」
起業当初の何もかんもゼロに近い状態で、何やっても新鮮で面白くてしょーがないとき、上の台詞はヒジョーにポジティブなトーンでもって自らの内に発せられていた。
しかし、2年も経ってくるといろいろ面倒なコトやらややこしいコトやらが増えてきて、ふと気が付くと「えっ?もしかしてオレ首括んなきゃダメデスカ?」みたいな状態になっていたりいなかったり。
いや、何が一番ストレスかっちゅーとやっぱ『ちゃんとしなきゃイケナイ』ってことなんだよね。カイシャも出来て2年近くなりマス。人も10人近くなってきマシタ。取引先にもちゃんとしたトコロを見せなきゃイケマセン。そりゃもう御尤もで、返す言葉もゴザイマセンよ。だからこそ自分自身ちゃんとしようとしたり、いろんなところにブレーキを掛けたり、気を遣ったりしてるつもり・・だったんだよね。自分的には。
で、それも結局は中途半端でどう考えても上手くいってるとは思えない上に、自分自身の中のモチベーションみたいなモノも萎えてきちゃって、過去にオノレが発した冒頭の台詞がグサグサと心の臓に抉り込んでくるような日々を過ごしていたワケですよ。ぶっちゃけココ数ヶ月わ。

でもね、よくよく考えると『ちゃんと』なんかデキルワケねーんだわ。
だって、既存の仕組みがシステムがカイシャってモンがどーにも気に食わなくて、苛立たしくて、もっと絶対にイイ方法があるハズだと思って、じゃー自分でやってやるよって実際に始めちゃったような人間なんだから。
確かにカイシャっての経済活動だ。ヨソサマと取引することによってのみ生き長らえるコトのできる、あるイミ究極にソーシャルな存在だ。だからこそ、あんまりイカレたコトや不義理なコトやってると一瞬で誰も相手にしてくれなくって、(世のニュースに幾らでも例を見ることの出来るように)その生命をあっとゆー間に終えるコトになる。だから、ちゃんとしてるフリはしなくてはならない。ちゃんとしてる風は装ってなくてはならない。そんなコトは100もショーチだ。(あー、コレあくまでモチロン私人として詩人としてだからね。公人としての発言じゃないんだからねっ!)

けれども、なんで『今(のカイシャってことね。周辺関係者含めると実に10人以上の人間が日々の糧を得ているんだから、よくよく考えるとすげーことデス)』があるのかっていうと、そんなこととは別次元の何か、もっと熱くて不条理でドロドロとした何かがまず最初にあったからなのだと思う。
全部自分でやったなんて言うつもりは今も今後も一言も言うつもりはない。自分はただ、少しばかりシステムについて知っていて、デキル技術者と技術者に向いてそうな人間を見る目が人より少しあるくらいだ。そこに、仕事を持っている人間と、人を繋ぐ人間と、全体を最適化しチューニングできる人間が集まり、結果として今があり、さらにこれからがある。例え、仮に妄想だか勘違いだかわからないナニカから始まったモノだとしても、我々には今があり未来があるんですよ。面白いことに。(「オソロシイことに」でも「タイヘンなことに」でも、なんでもいいケド)
集まったヤツらは、決してココが『ちゃんとしてる』からなんて理由で集まったワケではないはずだ。もちろん、各人の理由があり、野望があり、思惑はあるはずだけれども、ヒトが最後に動くのは理屈でも理論でもなく、頭のてっぺんからツマの先までに響くナニカであり、ココロの琴の線に触れるナニカがあるからだと信じている。

えーと、だから何が言いたいんだ。掛けてる時間と飲んでる酒量に比して、明らかにアウトプットされている文章が少ないのだけれども。まだスクロールバーが出てないって、ホント空回りにも程があるんじゃないかと・・。
まあいいや。とにかく、『ちゃんとする』ことを第一義に置いた活動なぞ糞喰らえだと、遅まきながらようやく気付いた次第なのであります。ようは、仮に誰かがちゃんとできなかったときに、ちゃんと(軌道修正)できるシステムを作ればいいんでしょ。だったらもうできてるし。てゆーか、そもそも最初かそうしてるし。
そして、だからこそ、己の中に勝手に解釈したストッパーを置いて、結果として自身のイキオイを弱めるよーなことしてもまるでイミないんだよね。止めるのが自分ってのはホント意味ない。人間の脳味噌的に考えると、どうでもいいとこだけ遮って、ホントに止めなきゃいけないところで止まらない可能性があるんだから。
だから、つまらん心配はヤメル。制御機構は外に置いて、やりたいようにやってやる。グレンラガン風に言うならば「お前を信じる、俺を信じる」だ。自分すら信じられなかったら未来なんて照らせやしない。

そして、我らが愉快な仲間達(狭義な意味でも、そして果てしなく広義な意味でも)に求めることは唯一つ。己の中の想いを、衝動を、狂気を、ウチに秘めたる熱いナニカを、ドロドロとした不条理なナニカを、忘れずに、消さずに、諦めずにいて欲しい。どんなに面倒くさくっても、生き難くってもそれが一番『自分』なのだから。ただ、もちろん普段はそんな危なっかしいモノを持ってるなんて、おくびにも出しちゃいけない。てゆーか迷惑だから出しちゃダメだ(笑 日常は極めてフツーに穏やかにまっとうにクレバーに過ごしつつ、ケド、己の中のナニカだけは常に研ぎ澄まし、絶えず磨き続けて欲しい。
いつの日にか我々は『ソレ』を必要とする時が来る筈だから。なければ無理矢理作ってやる!だから、いざ鎌倉のその鬨の声が掛かるまで、己だけの武を研鑽し続けて欲しい。

「上手くゆく訳がない」「無理に決まってる」「たぶん失敗すると思う」。何かをしようとする度に、一部の人々からはそんなコトバを(おそらく心配や好意から)掛けられ続けられてきたが、幸いにして無事になんとかやってゆけている。これは私が特別に幸運で強運だからという訳でもなく、ただ単に、世の中というモノが世間一般の思う以上に懐が深いというそれだけのことだと思う。
ただ、それは幾らコトバで言っても伝わることはないと思う。だから我々は、もしこれからそんな言葉を掛けられたらニヤリと笑ってこう言えば良いんじゃないかなと。
「まぁいろいろ大変だったケド、なんとかなったよ。世の中そう悪いモンじゃない」
そして、相手がこのケモノ道を歩けるだけのスキルとヴァイタリティを持ってる人間だったなら、逆にこっちに引きずり込んでしまえばいい。
時には相手にニヤリと笑ってみせるコトすら苦しい状況もあるかもしれない。ケド、そこで敢えて笑ってみせるだけの伊達と酔狂は、イキオイと心意気は、持ち続けていたい。だって、カッコイイじゃない。
そして、そのためにテメーの人生一本ブッ込むくらいだったら、安いモノじゃないかと。ヒトは必ずしも、何かをなす為に生まれてきたワケじゃない。ケド、もしかしたら何かをなすこともデキルのかもしれない。あるいは何一つ上手く行かず、何一つ成し遂げることもできずに終わるのかもしれない。
だったら、「お前の信じる、お前を信じろ!」

と、あくまで私人としての私は思うのですよ。あくまでね。

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