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fragment-c

しかし、いざ目の前に真っ白な巨大なカンバスの前に立たされて、「好きなモノを好きなように描いていいよ。もし、足りなかったら言って。コレは無限に広くできるから。よろぴこ」と言われ怖気づかない人間はごく稀だと思う。
普段の生活・仕事の中で、平均を遙かに逸脱した能力・働きをするような特殊な人間でも、そうなんじゃないかと思う。そういう人間が有能で居られるのは、ある意味そういう普段の制約・条件といった枷があるからかもしれないし。
日々の抑圧・制約の中で夢見、あれほど恋い焦がれた染みひとつない純白のカンバスが、突然恐怖の対象になるのだ。恐怖せずに思い描いた最初の線を堂々と描き始めることが出来るのは、真の天才かよっぽどの馬鹿かどちらかしかいないと思う。
制約のない世界に放り出されたとき初めて思い知らされるのだ。ああ、オレの能力というのは所詮は教科書の隅にクラスメイトの似顔絵やパラパラ漫画を学年一上手に描ける程度の力量だったのだと。
自負がそのまま重圧になる。枷の、すなわちルールの中で上手くやれる要領の良さがそのまま己を知る物分かりの良さに直結してしまう。
そして、結局何も描けずに立ち去るか、隅っこの小さなスペースに描き慣れた手慰みの小さな絵を残して寂寥混じりの満足感を得て己が世界に帰ってゆくか。

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「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだ」
と、どこかの学生(ヒント:アッシュフォード学園)が言っていた台詞はおそらく真理なのだろう。
作中では文字通り、半端な覚悟で表舞台に上がって来ようとする人間への抑止・警告といった文脈で使われていた。
しかし、逆に「覚悟のあるヤツが、撃たない」というシチュエーションはどうなんだろう?
「撃たない覚悟」ってのは少年漫画なんかでよく聞くけれど、それは圧倒的な力を持つ物語の主人公クラスが言うから格好が付く話であって、造物主に愛された覚えも証もない生まれ消えゆく唯の存在がそこと張り合うのは筋違いにも程があるんじゃないかと。
だったら最初から覚悟なんか最初からするなよ、と。たとえ小さな覚悟でも、それをすることによって捨てた何かが必ずあるハズなんだから。
だから撃っていいんじゃないの? どーせ外れるだろうしwww
でも、撃たなきゃ、届かないし、繋がらないんだよ。オモイが。

Comments:1

ネギ王 09-06-28 (日) 0:24

> 真っ白な巨大なカンバスの前に立たされて、

“迷わず行けよ、行けば分かるさ。”この言葉の偉大なところは、背中を押してくれること。結局のところ評価は他人がするものだから、思うさま描くだけさ。と割り切った人の後にどんどん人が続く。或いは新しい別のことを思いつく人が現れる。ホリエモンは天才ではないが、開拓者だ。それだけで尊敬できる。前のめりでいたいと思う。

> 逆に「覚悟のあるヤツが、撃たない」というシチュエーションはどうなんだろう?

相手に対する最大の侮辱、になるのかもね。罰を与えられてこそ罪が確定する。なかったことにされた自分の思いはその後どこに行くのだろう。
しかし、ニコ動を見ていると思いをつなげたい人で大賑わい。日本のような「安心社会」では一元さんを仲間に入れないことで長期的関係のメリットを享受するわけだが、このシステムは未知の人とのコミュニケーションの敷居が高い。思いをつなげる仕組みとしてインターネットの可能性はまだある。技術的或いは営業的な観点を無視したイノベーションが求められるね。

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