Home > fragment

fragment Archive

fragment-m

「fragment(フラグメント:断片、断章)」という言葉を意識して、好んで使うようになったのは村上春樹の『風の歌を聴け』が契機だったと思う。
学生の頃、プライドばっかり異常に高い癖に、それに見合うほど信じるモノも縋るモノも誇れるモノも持っていなかった自分は村上春樹の小説をそれこそ聖書のように拠り所にして、何度も何度も繰り返し読んでいた。
一番好きだったのは『ダンス・ダンス・ダンス』だった。ユキの健気さにグッとき、五反田君の生き様に深い闇を見、それでもステップを踏み続ける「僕」にオノレの何かを重ね合わせようとしていた。んだと思う、たぶん。

『風の歌を聴け』は語るのがとても難しい作品だ。
村上春樹のデビュー作で、群像新人賞受賞作品。神宮球場でヤクルトスワローズの試合を観戦中に、ふと小説を書くことを思いつき、当時やっていた店のキッチンで夜中にコツコツと書き貯めた作品だとか、周辺は幾らでも語ることができるのだけれど、物語そのものについて語ろうとすると途端に文章が出てこなくなる。
今書いているこの文章も、何を隠そうこの辺りで急激に失速し、睡眠時間とのトレードオフを考え既に書き始めてしまったことを後悔しているくらいだ。

まあいいや。
好き、嫌いで言うと『ダンス・ダンス・ダンス』が一番好き。完成度と面白さで言うと『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に敵うモノはない。初期作品で荒削りだけど切なく迫る何かがあるのは『1973年のピンボール』がダントツ。
でも、そこまで語りたくもないんだけど結局語ってるのは、いつも『風の歌を聴け』なんだよね。なぜか。

学生の頃に買った文庫本(賢しげに付箋を貼ったり、傍線を引っ張ったりした挙句、表紙がどっかに行ってボロボロになってしまった)は残念ながらどこかに行ってしまったので、まっさらな文庫本を買い直した。
軽く読み直した後、ふと思い立って、台所から話し掛けてくる妻に適当に相槌を打ったり、激しくちょっかいを出してくる娘の猛攻をあしらいつつpomeraに向かってこの物語の断片の要約をまとめ始めた。

その結果が以下だ。
意味は特にない。いや、せっかくだから村上春樹風に言うと「意味なんてないんだ」か。
ただ、作業を進めるうちに奇妙な充足感と満足感はあった。敢えて無理やりこじつけるなら、物語の冒頭で出てくる「まん中に1本の線を引」いたノートにオノレ自身が収斂されてゆくような感覚だ。
さて、ノートの右側と左側には何が書かれているんだろうか。
教訓なんて、もちろん全然ある気がしない。

——–
『風の歌を聴け』(村上春樹 講談社文庫)

1:
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

僕はノートのまん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。(略)
 僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横わたっている。(略)僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない、まん中に線が1本だけ引かれた一冊のただのノートだ。教訓なら少しはあるかもしれない。

2:
18日間の物語であることの宣言。

3:
鼠とジェイズ・バー。鼠が金持ち嫌いであること。

4:
鼠との出会い(回想)。公園に突っ込んだフィアットと、半ダースのビールと明け方の砂浜。

5:
鼠と本。『鼠はおそろしく本を読まない。』

6:
『鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放っておいても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。』

7:
『僕』の無口な少年時代。山羊と兎と重い金時計の寓話。

8:
朝6時前。『小指のない女の子(裸)』の家で目覚める『僕』。

9:
目覚めた『小指のない女の子』との軽い諍い。

10:
ジェイズ・バーにて。フランス人の水平と、グレープフルーツのような乳房の派手なワンピースの女(先月離婚した)。逃げ出す『僕』。

11:
ラジオNEBのDJ。ONとOFF。

12:
DJ→『僕』。リクエスト曲< カリフォルニア・ガールズ>をプレゼントした女の子。犬の漫才師。

13:
カリフォルニア・ガールズの歌詞。

14:
送られてきたTシャツのイラスト。本作品唯一の挿し絵。

15:
送付された真新しいTシャツを着て、港のあたりへ。レコード店で働く『小指のない女の子』との再会。
ビーチ・ボーイズ、グレン・グルード、マイルス・デイビスの3枚のLPを購入する。

16:
ジェイズ・バーで鼠と会う。誕生日プレゼントと言ってグレン・グルードのLPを渡す。
(小指のない女の子→鼠)

17:僕
カリフォルニア・ガールズをリクエストとしてプレゼントしてくれた女の子を3日間探し続ける。
結局見つからず、家で一人カリフォルニア・ガールズを聴く。

18:電話(小指のない女の子→僕)
ジェイズ・バーで鼠から僕の電話番号を聞き、掛けてきたとのこと。
『ひどいことを言ったからよ。それで謝りたかったの』
今夜8時にジェイズ・バーで会う約束をする。

19:僕(回想)
僕が今まで寝た3人の女の子の回想。
一人目は高校のクラス・メート。二人目は地下鉄の新宿駅であったヒッピーの女の子。三人目は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生。
仏文科の女子学生は翌年の春休み(いつ?)に大学の雑木林で自殺してしまった。

20:
ジェイズ・バーで小指のない女の子と会う。彼女に双子の妹がいることがわかる。

21:
『三人目のガール・フレンドが死んだ半月後、僕はミシュレの「魔女」を読んでいた。優れた本だ。』

22:
小指のない女の子から電話。作りすぎたビーフ・シチューを食べに来ないかという誘い。
彼女の家で食事をしながら、科学的直感力や靴を磨く話をする。
彼女は明日から一週間旅行だという。

23:
『僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ』
人間の生存証明(レーゾン・デートゥル)について考え続け、全ての物事を数値に置き換えずにいられないという癖がついてしまう。

24:
ジェイズ・バーで鼠と会う。明日、人(女)と会ってほしいという。

25:
鼠の好物(焼きたてのホット・ケーキにコカ・コーラを1瓶注ぎかけたもの)について。

26:
『僕が寝た三番目の女の子についえ話す。
 死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。』

27:
嫌な夢から目覚める僕。
鼠との待ち合わせ場所(ジェイズ・バー)に着くと、女と会う約束は辞めたという。

28:
僕が育った街について。

29:
不調の鼠について、ジェイズ・バーでジェイと話す。

30:
この文章を書き続けている僕。

31:
鼠とホテルのプールへゆく。
鼠は大学をやめて小説を書いてゆくという。
強い人間なんていない、強い振りのできる人間がいるだけだという僕と、嘘だと言ってくれないかと真剣に反論する鼠。

32:
デレク・ハートフィールドについて。
不毛さと火星の井戸と15億年という歳月の話。

33:
小指のない女の子から電話。YWCA(フランス語会話を習っているらしい)の前で待ち合わせる。
旅行に行ってたというのは嘘だという。

34:
嘘について。

35:
レストランから倉庫街へ。

36:
小指のない女の子のアパート。

37:
DJ語り。脊髄の病気の女の子の手紙。
『僕は・君たちが・好きだ』
曲はエルヴィス・プレスリーのグッド・ラック・チャーム。
(初めてデートした女の子と同じ?P.94)

38:
東京に帰る日の夕方。
ジェイに挨拶をして夜行バスに乗る。(鼠はいない)

39:
後日談。僕は29歳、鼠は30歳。ジェイズ・バーは改築され小綺麗な店に。

40:
デレク・ハートフィールド。

ハートフィールド、再び。(あとがきにかえて):
あとがき的エピローグ。

fragment-c

しかし、いざ目の前に真っ白な巨大なカンバスの前に立たされて、「好きなモノを好きなように描いていいよ。もし、足りなかったら言って。コレは無限に広くできるから。よろぴこ」と言われ怖気づかない人間はごく稀だと思う。
普段の生活・仕事の中で、平均を遙かに逸脱した能力・働きをするような特殊な人間でも、そうなんじゃないかと思う。そういう人間が有能で居られるのは、ある意味そういう普段の制約・条件といった枷があるからかもしれないし。
日々の抑圧・制約の中で夢見、あれほど恋い焦がれた染みひとつない純白のカンバスが、突然恐怖の対象になるのだ。恐怖せずに思い描いた最初の線を堂々と描き始めることが出来るのは、真の天才かよっぽどの馬鹿かどちらかしかいないと思う。
制約のない世界に放り出されたとき初めて思い知らされるのだ。ああ、オレの能力というのは所詮は教科書の隅にクラスメイトの似顔絵やパラパラ漫画を学年一上手に描ける程度の力量だったのだと。
自負がそのまま重圧になる。枷の、すなわちルールの中で上手くやれる要領の良さがそのまま己を知る物分かりの良さに直結してしまう。
そして、結局何も描けずに立ち去るか、隅っこの小さなスペースに描き慣れた手慰みの小さな絵を残して寂寥混じりの満足感を得て己が世界に帰ってゆくか。

※skip

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだ」
と、どこかの学生(ヒント:アッシュフォード学園)が言っていた台詞はおそらく真理なのだろう。
作中では文字通り、半端な覚悟で表舞台に上がって来ようとする人間への抑止・警告といった文脈で使われていた。
しかし、逆に「覚悟のあるヤツが、撃たない」というシチュエーションはどうなんだろう?
「撃たない覚悟」ってのは少年漫画なんかでよく聞くけれど、それは圧倒的な力を持つ物語の主人公クラスが言うから格好が付く話であって、造物主に愛された覚えも証もない生まれ消えゆく唯の存在がそこと張り合うのは筋違いにも程があるんじゃないかと。
だったら最初から覚悟なんか最初からするなよ、と。たとえ小さな覚悟でも、それをすることによって捨てた何かが必ずあるハズなんだから。
だから撃っていいんじゃないの? どーせ外れるだろうしwww
でも、撃たなきゃ、届かないし、繋がらないんだよ。オモイが。

fragment-k

本気デ勝負スルト、何カガ決壊スルンダ

タイトルは20世紀少年の名台詞から。
そして本記事は書き掛けでPCに眠っていた文書をサルベージし、pomeraでチマチマ編集し復活させたモノである。
出だしにちょうど当時の状況が書いてあるの、ちょっとでみてみよう。

「ビール3本目、時間は3時半、明日休み、スーパーほんこーんタイム(後述)、休出と早出と風邪気味で若干弱ったカラダ、と(いろんな意味で)条件は揃ったんで久々にやらかしてみようと思う。」

といってカティサーク飲みながら5時くらいまで頑張ったんだけど、結局書き上げることが出来ずに床で寒さに震えながら丸くなって寝落ちしてたという自分で言うのもなんだけどアホみたいなことになってた。
しかも今にして思うと、扁桃腺炎になって2週間も禁酒する羽目になったのはコイツが原因だったような気が・・。
まぁいいや。そこまでして語りたかったのは結局「ニコ動が面白い」という話なのだけれど。
以下、若干熱すぎて空回ってる部分等を修正し、寝落ちしてざっくり欠落してる後半部分を補って完成させてみよう。
ちうわけでリメイク版スタート。

ニコ動ことニコニコ動画が面白い。
10年前、ニフティサーブでネットワークと出会ったのがファースト・インパクトだとすると、間違いなくコレはセカンド・インパクトかなと。
関わってる人間が2ch系だからカルチャーとしても2chに通ずるところは多々あると思う。
ニコ動ビギナーだけど、数年前にガッツリ2chやってたんでこのはアレでいうコレか、みたいな。

「釣りか?→サーセンwww」に代表されるお約束(ここまで来ると古典に通ずる日本的なナニカを感じずにはいられない)とか、アンチvs擁護とか、神とか鳥肌とか目からナニカとか、やってることはあまり変わらない。まぁ「wwwwww」だけのコメントののノイズとかは、昔はここまで酷くなかった気もするケド。

ただ、2chとニコ動の違いで一番感じたのはネタ(作品とか素材とも言う)を提供する側と乗っかる側の差がエライ大きく開いたなぁということ。
かつてはテキストオンリーだったため、ネタを提供する側/される側の境界というのは非常にアイマイで、半リアルタイムのやり取りの中で円舞曲のようにクルクルと立場を替えたりすらしていた。
しかし動画投稿となるとその彼我の差というのは一気に埋め難いモノとなる。ようは、提供する側の要するコストと、ソレを享受し(コメント等で)茶々を入れる側のコストというのは交換不可能なレベルまで開いてくるのだ。
自らの手を動かすことなく得意げに批評・批判するような輩には特に語るべき言葉はない。「歌ってみた」で言えば、対象を選び、(場合によっては)練習をしたりリテイクを重ねたり、それを動画として絵を合わせ、トータルとして編集し、モロモロの精神的紆余曲折を経てようやくうpして世に出てきた作品たちに対し、脊髄反射で「素人レベル」とか「音外れてる」とか、もうね、オマエは何様かと、だったらオマエがやってみろと。

・・ぃゃぃゃ、そっちはどうでもいい。それよりも、作り手たちの話だ。
そんなワケで、ネタ・作品を提供する側に要求される「贄」のコストというのはホント半端ないと思う。しかも、その中で注目され、愛され、広まってゆくモノというのはごくごく限られている。
埋もれた才能が文字通り発掘され、良いのか悪いのかCD等の商用ベースに展開されたりカラオケやら着歌やらに配信されてゆく作品がある一方、開始2秒で地にダイブする失敗線香花火のごとく生まれた瞬間に消えてゆくナニカがある。

それでも、それにもかかわらず、日々無数の「ナニカ」が生まれてくる。
世の中に、まだこんなにも「モノを作り、紡ぎ、繋いでゆこう」というオモイを持った人たちがいる。そのことが嬉しくてたまらない。
確かにひと昔前に比べれば、動画編集にしろ、ヴォーカロイドにしろ、MMDにしろ、作成・開発環境というのはオソロシク向上している。しかし、所詮それも相対であって、結局は休日を潰し、睡眠時間を削り、さらにその情熱を完成まで持続させて公開に至るというのは相当なパワーがいるはずだ。
やっている側は「好きだから」「楽しい」からとサラリと答えるだろう。もちろんそうに違いない。しかし、賞賛にしろ批評にしろ、作品を享受しコメントしている側からの安易で平坦な延長線上には彼らはいない。その間には2chでいう「超えられない壁」が横たわっている。
しかし、2chで言う「神」や「超えられない壁」が

・これだけの仕組みを作りながらまだ黒字化できていない
・振り込めない詐欺。
・ほんこーん、かわいいよ、ほんこーん。
・姫、かわ(ry

ホーム > fragment

Search
Feeds
Meta

Return to page top